右翼と美学

今日における右翼の地位は塵芥同様であろう。
然し人は私を右翼と言い、右翼以外の何者でもないと断言して憚らない。
右翼の社会的地位を鑑みれば噴飯ものだ。
一体誰が右翼の名前を是ほどに辱めたのか。

…権力と手を組み権力の走狗と化した右翼。
国民の心の内にある声に耳を傾けようともしなかった右翼。
大所高所的物言いとスタイルこそそれらしいが、現実はまるで小市民的右翼…。

その犯罪者を探そうと試みるなら、行き着く先に己が待ち受ける皮肉な現実。

右翼とは自己犠牲の権化。

右翼は、侍とは死ぬ事と見つけたりと言う武士思想の確かな継承者で在らねばならない。

男の美学の究極は自己犠牲。
その美学こそが、私の思想の骨髄である。

日本青年社 統括本部長 箱崎一像

はじめに

始めに、恥辱に塗れた私の過去を告白しておく。
昭和23年2月…(戦後2年と6ヶ月)…常磐いわきに生を享けた。
食料も衣類も住む家にも不自由した悲惨な時代背景ではあった。
生来の負け犬根性に時代背景が悪乗りして、10歳そこそこでひねくれた悪童になっていた。
因みに同じ親・同じ環境の基で育った私の兄妹は、私とはまるで正反対に育っていた。

父親を水戸少刑在所中に亡くした。
塀の中と外を繰り返し行き来していた。
社会の鼻つまみ者であったことは間違いない。
唯、哀れな事に本人は嫌われ者であることに全く気付いていなく、真面目に、強きを挫き弱きを助ける任侠の徒を気取っていた。…正しくピエロ…。

急性骨髄炎白血病 三十四年の短かすぎる人生に兄、決別。
急の事だった。最後を看取る。
然し、時を移さず例によって小菅に収監される。
事情はあった。
無実の罪でもあった故に、徹頭徹尾官憲と戦った。
官憲は逆らう者に対して、接見禁止という武器を必要以上に振り回し、有無を言わさずに捻じ伏せる

その官憲の仕打ちが私の人生の転機になった。
凡そ二百十日の間、来る日も来るにも、唯、壁に向かい己自身を見つめた。
私は自分の弱さに気付いた。自分の醜さに気付いた。自分の卑怯な心の奥を覘く事が出来た。
自分の薄汚い衣に気付いた。辺りいっぱいに臭気を放っていた過去の自分に気付かされた。

そして兄の人生を考えた。
…貧しさゆえに修学旅行にさえ行けない境遇に在ったにも拘らず、役所や学校から親孝行の賞状を貰うほどのあの兄が、自分の家庭も持つことなく天に召されて逝ってしまった…。
この世に神などいないと不覚にも泣いて泣いて涙が止まらなかった。
その兄に比べて此処にいる自分は…何と情けない姿なんだ…と悔みながら…。

神はそれでも存在する。
…いくら神を呪い罵ってみたとて、神と心の存在を消し去ることは出来なかった…。
誰でも等しくこの世に生まれた『意義』『使命』を持つ…と、孤独の壁に学び確信した。
兄の死は私にそれを気付かせるものであった、と、自分に言い聞かせた。 こんな私にも生まれた意義がある。生きる使命がある。
私に出来るものは何だろう…。
以来、塀の中は学び舎と化し、鍛錬の場となった。

堀政夫という神に拾われる。…感謝…。
神の膝元に、神の言の葉の聖息のかかる所に、神の手の温もりが感じられる所に、一瞬でもいられた事が私の以後の全ての支えになっている。

その神の崇高な意思を引き継ぐ
大兄の懐の温もりの中で
世の為、人の為、愛する家族の為に
明日に向かって今日を生きることが出来る人間になれた。

日本青年社初代、小林楠扶会長に引き立てられ
二代目、衛藤会長の薫陶を受け
三代目、現、松尾会長という素晴らしい指導者に巡り会えた。

私の美学の骨髄は、
私自身の醜悪な過去の中に、
自らの命を以って私を諭してくれた兄の中に、
神の後姿に、
大兄の懐の中に、
青年社歴代会長の無言の眼差しの中に在る。
美学とは、品格にこそある。松尾会長の背中にそう書いてある。

倫理・道徳・品格の向上
右翼を標榜している団体及び人々に申し上げる。
政界、経済界、役人に申し上げる。
子を持つ親に申し上げる。
伴侶を持つ人々に申し上げる。
倫理・道徳・品格の向上以外に明日を築く道はない。
倫理・道徳・品格の向上が明日の日本を救う。
倫理・道徳・品格の向上こそ、
貴き日本国家の、
歴史・伝統・文化の蘇生への大道の道標である。
倫理・道徳・品格は、
美学思想の脊椎でもある。

日本青年社 統括本部長 箱崎一像